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お茶の発祥地と歴史

The Birthplace & History of Tea
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お茶は水と珈琲と共に世界で最も飲まれている飲み物です。紅茶を含むお茶には、政治や社会、文化背景を巻き込んだ神秘的で長い歴史があります。お茶の起源もミステリアスな一面があります。

お茶を飲む文化が広まった背景

お茶は中国が発祥とされる常緑樹カメリア シネンシスの葉や芽から作られています。すべての紅茶、緑茶、白茶、烏龍茶は、この植物が原材料です。ハーブティーはハーブや花、ベリーや種など、カメリア シネンシス以外の素材から作られた飲み物です。神農の飲み物に落ちた葉は、近くに自生していたカメリア シネンシスであったのだと言い伝えられています。これが本当であれば、神農皇帝が世界で最初にお茶を飲んだ人物です。.

 


紀元後906年に300年に及んだ唐朝が終焉を迎える頃、お茶を飲むしきたりは中国全土に広がっていました。蒸された茶葉はレンガ状に固められて流通していました。13世紀に入る頃には、禅宗のパイオニアとも目される日本の仏教僧、明菴栄西が訪中し、お茶の木の種を持ち帰ったと言われています。後年には、お茶についての本を自ら執筆し、将軍に献上したと言われています。

貿易や流通を助ける茶葉を押し固めて作ったレンガのような塊

その後、お茶を飲む習慣は日本で広がり、武士がお茶を飲みながら政治について語り合う社交場ができるなど、喫茶文化が根付きました。また、お茶は薬効を目的としても飲まれるようになりました。身体と心が整う作用があると考えられていました。14世紀には喫茶文化が、政権転覆を謀る温床になることを恐れた政府により一時禁止されてしまいます。その後も喫茶文化は広がりを続け、より儀式的な要素が含まれた茶道が確立され、今日に至ります。

 

武将が集まりお茶をたしなむ

 


TEA FOR TWO

17世紀まで、お茶はアジアのみが知る秘密でした。その後、オランダとポルトガルの貿易ルートを介して、ヨーロッパに知られるようになります。1,606年にはジャワ島に交易中継所が設けられ、世界で初めて大陸をまたいだ茶葉の貿易が始まりました。オランダはお茶に熱狂します。 

イギリスではお茶が急速に広まり、貴族の贅沢品として扱われるようになります。ブームはキャサリン妃とチャールズ2世の宮廷で始まりました。ポルトガル生まれのキャサリン妃は、より頻繁に紅茶を口にすることを求めたことがきっかけで、王は茶葉の貿易で世界を席巻していた西インド会社と良好な関係を結びます。ムンバイ(後にボンベイとも知られる。)の町はキャサリン妃がチャールズ王に嫁ぐ際の持参金代わりでした。その後、ムンバイの港は貿易路として、イギリスへの茶葉流入に大きな役割を果たすようになります。

TEA FOR ALL

英国で最初に紅茶について書かれている書物は1644年に遡ります。それはリーズに住む男性が地元の薬剤師にあてた発注書でした。公な文献で紅茶が登場するのは1658年の新聞での広告で、喫茶店で中国の新しい飲み物が提供されるという内容でした。1664年には、東インド会社は一度に50キロの茶葉をロンドンに輸送していました。その後17世紀終わりまでは、中流層まで紅茶文化が広まり、男性は喫茶店で、女性は家で紅茶を飲むようになります。しかし、18世紀初頭に非常に高額な税金が茶葉に課されるようになると、紅茶は市場から姿を消してしまいました。

税率が100%を超え茶葉の価格が2倍になっても、英国人の紅茶への嗜好は衰えることはありませんでした。結果的に、高価な紅茶にまつわる計画的な犯罪が頻発します。ギャングの手により密輸が横行しました。アメリカ本土ではジョン・ハンコックとサムエル・アダムスを加えた密輸グループがボストンティー紅茶事件を起こします。高い関税に憤慨し抗議の表明として、港に停泊中のイギリス船に侵入、船荷である紅茶箱300箱以上をボストンの海に投げ捨てました。1784年、英国首相は紅茶葉の関税を12%に引き下げることを決定しました。この施策により、価格が落ち着いた紅茶は中流層の手に届くようになり、茶葉をめぐる違法な取引を壊滅させることにもつながったのです。

紅茶と禁酒

一般庶民の飲み物となった紅茶は、その健康作用について意見が飛び交うようになります。富裕層は、紅茶の飲み過ぎが労働者層の生産性に悪影響を及ぼす可能性を懸念したことも。しかし現代医学の知識が得られない状況下では、紅茶の健康作用を突き止めることは不可能でした。

もうひとつの紅茶の歴史において興味深い事柄は19世紀初頭の禁酒運動の最中におこりました。アルコールドリンクの代わりとして紅茶が飲まれるようになり、健康への影響を懸念する声は聞かれなくなりました。英国の慈善活動家により、お酒の代わりに紅茶が勧められました。この社会現象は、上流層へのアピール方法として労働者層を中心に広まりを見せます。アルコール消費を控えることを示す「teetotaling」という言葉も誕生しました。紅茶とは縁の薄い言葉ですが、禁酒を決めた多くの人たちは、代わりに紅茶をたしなむようになったのです。

現在の紅茶事情

20世紀から21世紀にかけた医学の進歩により、紅茶類の身体的、精神的な面においての健康作用が深く理解されるようになりました。紅茶に関しての新しい研究結果が頻繁に発表されるようになり、紅茶やハーブティーの持つ抗炎症、抗菌、抗酸化などの健康に有益に作用する成分が含まれていることが分かってきています。免疫機能においても、現代医学療法と自然療法の両方を併用していくことが見直されつつあり、その中で毎日のお茶の服用を医師が勧める場合もあります。


伝統的な抹茶やクラシカルなティーポットで淹れたアールグレイから、烏龍茶を配合したブレンドティーや繊細なハーブティーまで、一杯のお茶は私たちに一日をスタートする活力になり、睡眠を助けるお供でもあり、健康不振の改善を助けてくれる存在でもあります。一枚の茶葉が風に吹かれお湯の中に落ちたその日から長い年月を経て、紅茶は世界中で愛される飲み物となり、人々の心身を健やかにする存在に変貌を遂げたのです。神からの贈り物への理解は、これからも深まっていくことでしょう。全ては1杯から始まりました。

 

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